忍者のルーツとは?―歴史の中で生み出された忍者たち
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最終更新日:2018/07/26
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忍者のルーツがどこにあるのか考えてみたことはあるでしょうか。歴史に名を残す人物が結成した?あるいは偉人その人こそが忍者?修行の果てに見出されたもの?
ここでは忍者のルーツとは一体何かについて一考してみましょう。
忍者のルーツはどこにあるのか、ということは、定かではなく、忍術書にも正確な記述はないものです。しかし、いくつか面白い説があります。
ひとつは、聖徳太子が忍者の創始者、というものです。ある忍術書には、「志能便」という、「しのび」を連想させる人々を使役していたと記されています。
聖徳太子が厩戸皇子であったときに、蘇我馬子とともに物部守屋を滅ぼした時に使ったのが、この志能便だといいます。
そして国を平定するために、聖徳太子が政権の座にあった時代には諜報員として志能便を用い、戦を避けたのだといいます。
『日本書紀』によると、聖徳太子が摂政であった時代に、百済の僧から「遁甲術」という忍術の源流のような術が伝わった、という記述があり、
聖徳太子が忍者組織をつくったルーツであった、と考えるのもなかなか面白いものといえます。
また、甲賀の郷土史には、この志能便として聖徳太子に仕えていた杉原斎入坊が甲賀忍者のルーツである、という説があります。
天武天皇が忍者を用いていたルーツである、という説もあります。壬申の乱において、「多胡弥」なるものたちを用いていた、というのです。天武天皇が武に優れた天皇であったことと関係しているのかもしれません。
源義経こそが忍者のルーツである、という説が、『正忍記』にあります。義経は幼いころに京都の鞍馬寺に預けられており、
そこで修験者から武術の指導を受けていたといわれています(昔話の『牛若丸』ではカラス天狗に武術を習ったことになっていますが、それは修験者のことであると考えられます)。
修験道が忍術の母体になったことは十分考えられますし、忍者は隠密行動の際によく修験者に変装していました。
また、戦国時代には忍者ではない修験者が諜報員として働いていたということもあるといいます。
義経は天才的な戦略家として知られていますが、義経が忍者としての才能をもっていたか、もしくは忍者としての才能に優れた部下を多く抱えていた、と考えることも面白いでしょう。
義経の部下である伊勢三郎義盛が忍者に近い術を使っていた、と考える人もあります。
もともと山賊として山岳戦法に通じており、さらに伊賀出身であることから、伊賀の源流をこの人物と考える向きもあるのです。
忍者のルーツを求める説にはほかにもさまざまなものがありますが、これが真実、と言い切れるものは今のところないようです。
ですが、こうした兵法や術が統合されて、実際に活躍してきた忍者の用いるすべとなってきた、と考えるのが妥当といえるでしょう。
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